Komedaのブログ

大学生だって声を出したい

就活の気持ち悪さについて語る


就活って気持ち悪くないですか??

僕は現在ぼちぼち就活をやっているのですが、漠然とそんな思いを抱えていました。

今回、それを言語化すること、そして解決策を自分なりに思いついたので、同じ悩みを持った仲間に届けば幸いということでここに記述しようと思います。

就活の気持ち悪さとは

就活って、すごいざっくり言うと自己分析を元にして過去の自分から現在の自分、そして未来の自分まで一貫したキャリアデザインを描くことが重要だと思うんですよ、一貫したものに魅力を感じますよね、人間って、

テレビに出てるヒーローとかまさにそうですよね、水戸黄門が女遊びしたりしませんよね?アンパンマンが子供を虐待したりしませんよね?

一貫してどちらかの主張をする弁護士や検事をモデルにしたドラマは多いですが、両方の主張を仲裁する裁判官のドラマはそれに比べてすごく少ないですよね?

ちょっとオーバーな例を出しましたが、みんなが魅力を感じる存在には一貫したその人の像があるはずなんです…

でも…人間ってそんなに一貫した存在じゃありませんよね?

今やりたいと思ってることでも一年後には変わってるかもしれないし、もしかしたら明日にはやりたくないことになってるかもしれない。

ましてや、「やりたいこと」なんて環境で決まるので、全く絶対的なものじゃないです。宇宙に行くのが夢って人もいますが、その人が江戸時代に生まれたらそんなこと思わなかったですよね、当たり前ですが。実家がケーキ屋さんでパティシエが夢って人も、実家が自転車屋さんだったら同じことを夢にする確率はどれくらい下がるでしょうか?人にものを教えるようになりたいって人が学校に通ったことがなかったら同じことを考えるようになったでしょうか?

自分は「やりたいこと」そして「なりたい自分」を軸に就職活動をしていた訳なのですが…途中でそれは1つには定められないし今後も変化していくことが大いに考えられることに気がついて足を止めてしまったのですね。僕が言えるのは「今」やりたいかどうかだけであると思いました。

それにもかかわらず、自分にとっての「理想像」をあたかもそれが絶対的で、死ぬまでそれを追い求めることが自分の喜びであるかのように面接官に語る就活生を見て

気持ちわるーーーーー!!!

と思ってしまったのです。

僕は就活の軸を「やりたいこと」「なりたい自分」から「できること」に切り替えようかと思いました。

「できること」は自分のスキルであり、他者評価を元にした誰がどう見ても「できる」、環境に左右されない絶対的なものです。

「できる」ことをやり続けるのも、成果が伴いやすいと思われるので、楽しい人生かな…考え始めました

しかし、他にやりたいことがあるのに自分に嘘をついて生きるようなその人生は楽しいのか?とずっと考えていました

他者からの承認と自己表現の両方が満たされて初めて幸せな人生であると、僕は考えています。

「できること」に徹すれば、他者からの承認は満たされることでしょう。

しかし、大げさにいうと自己表現を捨て、他者からの承認のみを求め続ける人生では本当に満たされることはないのではないか…と感じていました

そこで僕は1つの解決策を見つけました

就職してからでも何回でも自己分析して、違う道が見つかったら転職すればええやん。と

本当にしょうもない、5秒で思いつくような結論に帰着してしまったのですが、僕はそれが自分が納得する唯一の解決作であると思っています。

現段階で、いくつもある欲求や、なりたい自分の像を比較して、それを順位づけすることくらいなら簡単にできませんか? それでその1番上の、割と確信に近いものをとりあえず叶えていこうと私はと思います。

1番上のものを叶えるために描いたキャリアデザインを自分の理想だと、ひとまずは信じて就職します。

いくつも叶えたいことがあると思いますが、とりあえず一つ一つ叶えて行きましょう。

いくつもの夢を叶えているように見える人だって、取り掛かる時は一つ一つだと思います。

人間の小さな脳みそを分散させて使うのはもったいないというのは何となく感じることだと思います。

つまるところ、僕は就活を重く捉えすぎていました。そのために死ねると思えるくらいの理想を描こうとしていました。 就職はやりたいことを叶え、なりたい自分へ変わっていくための最初の足がかりでしかないと考え、もう少し気楽に就職活動をしていこうと思います。

これは自分に言い聞かせているので語弊がすごい文書だと思いますがそんなに気にしないでいただけると、幸いです。

※追加

某就活塾の方にこれを伝えたら、「そんなことない!自己分析をしてそれ元に色んな人と話してるうちに自分が見えてくるよ」と言われました。

僕はそれは「洗脳」であると思います。過去のそれらしき出来事に原因を求めたり、友人からの他者評価によって自信をつけたり、色んな疑問を投げかけられ、それに対してさらに意味づけをしていくうちに、どんどんその理想が自分の中で強くなり、次第に「自分はこの理想のために生きているに違いない」と本気で思う人すら出てきます。

それが悪いことだとは思いません。逆にそれくらい自分を信じることができなければ、その時点でのやりたいこと、なりたい自分に対して真剣に取り組むことができないと思います。

僕が言いたいのはそれが「洗脳」であることを自覚することで将来においてより柔軟な対応ができるだろう、ということです。そのために就職してからも自己分析を続けるべきだと思います。自分に新しい洗脳をかけるために。