Komedaのブログ

大学生だって声を出したい

学校よ、小さくなれ!

「個性を大切に」「自分らしさを尊重しよう」

学校教員のこのようなフレーズを聞いたことはないだろうか?

 

私は個性を大切にする学校なんて幻想に過ぎないと考えている。なぜなら、学校自体が子ども一人ひとりを標準化するシステムとして機能しているからだ。同じ教室で同じカリキュラムに基づいて授業を行えば、同じような知識や考え方を植えつけられる。

 

しかし、私はこのような子ども一人ひとりを標準化するシステムそのものを批判しているわけではない。というのも、このシステムは必要だからだ。

社会に出る前に、社会通念や規範、また一般常識といわれるものを学校というシステムを通じて、子どもたちは身に着けるべきだろう。

もし、子どもたちが標準化されず、まったく違う規範をもって社会に出たとしたら、その子どもたちは社会に適応できないだろう。

 

学校に個性を伸ばす能力がないとしたらどうすれば、どのように子どもたちの個性を伸ばせばいいのだろうか。

その一つの方法として、私から提案できるのは、子どもたちが学校に関わる時間を減らすことだろう。

 

私は現在、子どもたちの学校にいる時間が長すぎると思う。特に中高生はそれが顕著だろう。授業が終わった後も、部活動や補習などがあり、一日の半分以上の時間が学校に縛り付けられている中高生も少なくない。ほとんどの時間を同じ場所ですごし、個性をのばすなんて、おかしな話だ。

 

反対に、子どもたちが学校から早く帰り、学校外で子どもたちがやりたいスポーツや芸術、勉学に取り組めば、きっと個性は伸ばされるだろう。

 

子どもたちは学校で社会で生き抜くためのベースになるものを身につけ、学校以外の時間で彼らが学びたいものを身につけ、個性をおのおの伸ばすことができればいいのではないだろうか。

(もちろん、貧困を抱える家庭では、学校外でスポーツをやることが困難であることや、指導者がいない地域では、子どもたちがやりたいことをやるのが難しいことなどの課題は考えられるので、これらの点に関してはさらに議論が必要だろうが、このような問題に関しては、知識が乏しいため、ここでは詳しく踏み込まない)

 

現在、学校はいろいろな役割を抱え込みすぎている。実際に、部活動のせいでろくに休みもとれず、労働時間が過労死ラインを超えている教員がたくさんいる。

 

子どもたちの個性を大切にするためにも、学校の教員を守るためにも、私たちは学校の役割について考え直す必要があるだろう。

 

「小さな政府」ならぬ「小さな学校」になることを私は願っている。