頑固者とは何か?
まず自分が何で急に「ブログ」なんて恥ずかしいことをしてるのか説明します。
理由はざっくりいうと二つです。
一つ目は「言語化がおもろいから」
自分の考えていることを言語化するのって面白くないですか?
じゃあスマホのメモ帳にでも書いとけよと思われるでしょうけど、人に見られるかもしれないというプレッシャーが良質なアウトプットに繋がると思っています。また、見ていただいた方からフィードバックがいただければ、自分の中でさらに考えが深まるという思惑です。
二つ目は「自分の頭がザルだから」
僕は普段はいつもぼーっとしています。それゆえにそこそこ面白いアイデアが一日に何個も浮かぶのですが、頭がザルなので記憶できません。そしていくら本を読んでもザルの穴から情報が抜けていってしまいます。それはもったいないことだなと今更ながら思ったので頭の中を書き残していこうと思いました。それに自分のことは基本的に好きなので自分が書いた文章であれば見返すことは苦痛ではないからです。
それでは本題に入っていきます。
「頑固」とみなさんは言われたことがあるでしょうか。
僕は頻繁に言われるのですが、自分では自分のことをそうは思わないし、むしろ「俺の意見を受け入れようとしていないお前らのほうが頑固だろ!」とすら思っていました。これでは生きていくうえで自分にストレスがたまるし色々と不都合であろうと思ったので一度「頑固」について真面目に考えてみた次第です。
結論から言うと
「理屈で人を動かそうとする人」が「頑固」である
という考えに着地しました。
もちろん、原因は他にもあります。人の話を聞かなかったり、否定されることに対して感情的になったりと自分が「頑固」呼ばわりされていたことに対して思い当たる節はいくつもありますが、僕の考えの中で一番大きかったものはこれでした。
その理由は「人間は理屈よりも感情で動く」生き物であるからです。
これをいうと自分がすごい論理的な人間で、周りがそうでなかったというようにも聞こえますが、そうではありません。
僕こそ「感情で動く」タイプです。
人に言われて動くときは必ずその人が好きな人であるし、嫌いな先生の授業は無駄だと思って聞いていなかったし、好きなアーティストの曲はすべて聞くしそれを本気で神曲だと思っています。
それなのに自分は理屈で人を動かそうとしていたことは、今思うと滑稽なことです。
人間が判断を下すときには評価軸が三つあります。
二つは「メリットの大小」と「リスクの大小」です。
そして多くの人が自覚していない第三の軸があります。
上の二つが理性の評価軸だとするなら、
三つ目は「好き嫌い」という感情の評価軸が無意識に働いているのです。
これの何が難しいかというと、その三つの軸が独立しておらず、相互に影響を及ぼしていることです。
・千円払うことになるが、1/1000で10万円貰える宝くじ
・千円払うことになるが、1/1000で100億円貰える宝くじ
この二つを比較したとき、実際は99.9%千円を払うだけなのに、下の宝くじの「リスク」がすごく小さなものに感じられませんか。
メリットの大きさが実際は無関係であるリスクの大きさにまで影響しているということです。
これは「好き嫌い」の軸に対しても言えることで...
・同じことを言っているのに皆から賛成される人と反対される人
・いい曲を出しているのに売れないアーティスト
・どんな動画を出してもファンには高評価されるyoutuber
・同じように働いているのに上司から評価されて出世していくやつ
このような人間がいますよね。
さっきから例えが悪い気がしていますが、「好き嫌いの軸」が他の評価軸に大きな影響を及ぼしていることを何となく感じてほしいです。
前回にも書いた、脳の「錯覚」によって整合性が保たれるようになっているのです。
「好きなものはメリットが大きいし、リスクは小さい」と考えるように脳が書き換わるのです。
「大好きな作家の作品だからいいものに違いない」
「事故が起こったのだから、原子力発電には価値がない、好ましくない」
「アイドルはうんこしない」
自分は感情で意見を判断したりしない、合理的な人間だと思っている人こそ危険です。
なぜならこれは「無意識」の領域だからです。「無意識」のうちに判断には「好き嫌い」の評価軸が加わっているはずです。
これまで自分が下してきた決断を思い出してください。本当に「メリット」と「リスク」のみをもとに判断していたでしょうか。
つまり、周りの人間の感情への配慮が疎かであったことが僕を「頑固者」たらしめていたのだと思います。それは「不器用」であったり「立ち回りが悪い」、「伝え方が悪い」という言葉でも表現できるでしょう。
これだけは伝えたいのですが、人間は本人が思っている以上に感情的な生き物です。
自分の意見を聞いてもらいたいときは、その意見の正当性を主張することよりも、相手の気持ちになって「日ごろの行い」や「伝え方」を直してみてはいかがでしょうか。
有名な本を載せてそれっぽくしておきます。