中途半端な自称「知識人」はどうして「バカ」に対して攻撃的なのか
こんにちわ。「出るバカは打たれる」とはよく言ったもので、最近知識人らしき方からブログを書いていることに対して批判されることが増えました。
正しい方向を示してくれたり、どこが悪いのか教えてくださる方は非常にありがたいのですが、中にはひたすらに僕の人格に対して攻撃してくるような方もいます。
そんなに怒る理由が分からなかったので、その状況が生まれた心理的背景を僕なりに分析してみました。
ここで断っておきますが、僕は人格も文章もいくら批判されようが構わないです。ネタになるし。
むしろ、稚拙な文章に反応をしていただける方には感謝しています。
今回の内容は批評家に対する当てつけという訳ではなくただのネタなので、気にせずに今後も反応をください。
それでは本題に入っていきます。
バカ側の問題と自称知識人側の問題に分けて考えました。
バカの側の問題
自分の行為、言動に対する否定を人格に対する否定だと思い込む
自称知識人は親切心で間違っていることを教えてあげているのに、バカが自分の人格が否定されたと思ってしまうパターンです。
意見の賛否と人間性は分けて考えるべきだと思いますが、実際なかなか難しいですよね。
日本に根付いている「同調圧力」であったり「空気を読む」という言葉で表現される「周りと同じことが正しい」という文化が問題なんじゃないかと思います。
意見を否定された人は、自分のことを「人と違う人間」=「正しくない人間」と思ってしまいます。
これは日本の国民性であり、簡単には変われないと考えられるので、伝え方には気を付けましょう。
自称知識人の側の問題
これは二種類ほどあるんじゃないかなーと思います。
一つ目
自分に自信がない
「他者への攻撃性は自身のなさの表れ」とは一般的に言われていることかと思います。
時には自身のなさを隠すために攻撃的になったり、無口になる人もいます。
2000年にイグノーベル賞の心理学省を受賞した「ダニング=クルーガー効果」というものを知っていますか?
よくある話で、経験の全くない人、またそれに基づく知識のない人は謎の自信に溢れています。
この調査ではテストでDやFばかりを取る大学生や、免許更新に訪れたほとんど運転をしない後期高齢者が異常に高い自信の値を示したらしいです。
それに対し、経験を積み、知識を身に着けて世界を知るにつれて自分の実力が理解できるようになり、自身は失われていくという話です。
中途半端な知識人たちはちょうどこのグラフの下り坂の途中にいるのではないでしょうか。
二つ目
やりたくないことをやっている
そもそも、中途半端な知識人たちはその知識を自分の意志で身に着けているのではないかもしれません。それ故に中途半端なのです。
親から強制されていたり、周りへの対抗心であったり、世間体のためであったり...
少なくとも僕は自分の意志で楽しく学んでいる分野において人に対して攻撃的になる人を見たことがありません。
やりたくないことをやっている人の三大傾向
・人に同じことをするように強要する
・それをしていない人に対して怒る
・していることを人に自慢する
あなたの周りにもこういう人はいませんか?
読書家を自称し、読書をしていない人間を見下す人。
ボランティアに参加したことを必要以上にSNSでアピールする人。
自由参加のサークルなのに、自分が参加しているときに他の人が参加していないと怒る人。
おそらくその人たちは自分の意志で行動しているのではないのでしょう。
まとめ
バカの側の原因
・意見の否定を人格の否定と思ってしまう多くの日本人が持つ性質
知識人の側の原因
・自身のなさの表れ
・やりたくないのにやっている
他者への攻撃性は、自分が満たされていない証拠である可能性が高いでしょう。
僕は知識人が他者を攻撃している間に自分の人生を豊かにしようと思います。
アディオス!