文章の練習する
まずは何故ブログを再開したのか、を書く。
自分にとって「やりたいこと」とは何だろうか。
今でも答えは分からないが、分かっていることが一つある。
それは、一度もやったことのないものは仕事にしようとは思わないと言うこと。
つまり、やりたいことが明確でないうちは興味の赴くままに色んなものに取り組んでみる時間が必要だ。
これを踏まえて考えてみたのだが
自分には昔から何となく、心の中の熱意のようなものを、人に伝えたい欲求がある。
しかし、文章を介して何かを伝えたいのか、スピーチによって伝えたいのか、はたまたキャッチコピーを考えるライターになりたいのか分からない。なので、この場で文章を考える練習をしてみることにした。
この文章の構成は以下の通り
練習するポイントを最初に提示し、その後に即興で考えた修正なしの文章とそれを修正したものを続ける。
とりあえず一週間は続けてみようかなと思う。
ポイント
過去の出来事を現在形で表すことで文章に臨場感を持たせる。
即興テーマ:大学生の文化祭での思い出
メモ
大学一年
何も出さなかった。
マジで覚えていない
何たらとか言う芸人がきた
大学二年
タピオカ修造
代表の役回りがやりたくなかったので押し付けた
仕事を介していろんな側面が見れた
大学三年
焼肉食べ放題
何か新しいことがやってみたかった
肉は焼いたら量が減ると言う真理を発見
三日間死ぬほど働いて一人400円
無償でバイトしてくれた友に感謝
この要素を使って大学二年生の文化祭について、なるべく頭の中をそのまま書いてみる。
頭の中そのまま
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大学二年生で初めて文化祭で出店する経験をした。サークルではいつも中心的な立ち回りをしていたが、文化祭の代表は責任と仕事のみが降りかかり面白みのない大変コスパが悪いポジションに思えたので、どうにかくじ引きで他の人に押し付けた。思えばあれは初めての代における責任の伴う共同作業、つまり仕事だった。責任が伴うところには、トラブルが伴う。そういえば代表を押し付けられた友達はやたら責められていたような気がする。この経験から得た教訓は「リーダーは立候補以外で選ぶとろくなことにならない」と言うことだ。自分で選んだ道ではないので、よほど責任感が強くなければいくらでも言い訳ができてしまうので徹底した仕事は期待できない。
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このくらいにして、修正してみる。しかし「別にこのままでよくね?」と思ってしまう。他人から見たら相当稚拙な文章らしいが自分にはその判断すらつかない。他者からの評価は気にならないが、オナニーで終わるのは虚しい。頑張って修正してみるとする。
修正後
私が大学の文化祭で初めて店を出したのは、二年生の時だった。(受動態による客観的視座&「大学では」初めてと言う補足情報)
私は、サークルのメンバーと遊ぶのが楽しいので、よくまとめ役を買って出る。しかし文化祭の代表は面倒で面白みのない仕事だ。おまけにお金を動かすので責任だけはつきまとう。私はくじ引きを提案して、友達に代表をお願いした。そうして始まった文化祭ではリーダーの責任感の弱さに対して不満を抱く人が度々現れる。その度に彼は、自分はくじ引きで選ばれたのでやりたかったわけではないと言う。(現在形を駆使して臨場感を出す)
度重なるトラブルを経て、初めての文化祭は幕を閉じた。(過去形を再び使って意識を現在に戻す)
上記の経験から私はこの教訓を得た。
「リーダーは立候補でなければならない」
自分で選んだ道でなければ、仕事に対して意味を見出すことは難しい。
だから、必要以上の成果は望めず、多くの場合は最低限で終わるだろう。(「ので」、や「だが」を避けた)