事前に線引きをする社会が求められるのではないか?
最近,AbemaTV主催のブステレビというものがTwitterで炎上しているのを観測した.
ニュースサイトでも炎上が取り上げられている.
この番組の詳細を知った時,私は「この番組面白え!」と思った.
確かに,不愉快な側面があるというのは分かるが,所謂下品な番組を,私は好き好んでいるようだ.
私はブステレビに不快感をもっと示すべきだったのか?否.炎上している現状を知った今でも,そうとは思わない.これを無理矢理に不快だと言って否定することは,私の人生を否定するようなものだ.
多様性が声高々に叫ばれている昨今,ブステレビすらも多様性として受け入れられるべき社会なのではないか.否定を強制することは多様性とは異なると思う.
ここで,「受け入れられるべき」とは,誰にも叩かれないことを言っているわけではない.
必要なものは,事前の線引きであると考える.
この層には刺さるだろうが,この層には刺さらない,むしろしっぺ返しを食らうだろう.という予想ができるかどうかだと考える.
20数年生きてきたが,日本の人々でさえも,一様に分類するのは難しいと感じる.
だから,叩かれるのは仕方がない.それを受け入れて,コンテンツ作りに励むべきではないのだろうか.
以上,私の中途半端なオナニーでした.