安易に人を褒める人間は滅びろ!
僕の周りにはやたらと他人の事を「すごい!」とか「偉い!」と言って褒める人間がいます。
今までそういう人たちに感じていた気持ち悪さを言葉にしてみました。
これは僕の感覚なのですが「人を褒める」という行為は世の中で美化されており、「褒める」人に対して否定的なことを言うのはタブー視されている気がします。
しかし、褒められたときに「気持ち悪さ」を感じることはありませんか?
今日の僕は「褒める」ことが美化された世の中に警鐘を鳴らしに来ました。リーンリーン
人を褒める奴の気持ち悪さ
・その1「上から目線」
褒めるという行為の裏には上下関係が存在すると思います。
当人にそんなつもりはないかもしれませんが、「褒める」という行為は自分の立場が相手より上でないとできません。
あなたが大学生だとして、大学教授やインターン先の社長を褒めることはありますか?
「上から目線」は単に「ムカつく」という感情ではなく、価値に差はないはずの人間に上下関係を認めてしまうことが問題であると思います。
周りの人間を褒める人が、大学教授やインターン先の社長を褒めることができないのは相手が自分より価値のある人間だと思っているからでしょう。一度そういう意識を持ってしまった人間は自分という人間の価値が世の中において相対的で見えづらいものになってしまいます。
周りの人間との差を感じ、自己価値を見つけられない人生は嫌だなーと思います。
・その2「価値観の押し付け」
褒められる行為とはなんでしょう。「すごい!」こととは何でしょう。「偉い!」こととは何でしょう。
絶対的に褒められるべき行為などどこにもありません。その人にとって「すごい!」から、その人にとって「偉い!」から褒めているだけなのです。
つまり、自分にとっての正しい価値観を押し付けています。
褒められたら嬉しいこともありますが、他者からの価値観を受け入れ続け続けると自分の価値観で生きれなくなると思います。
結果、他者に依存した「誰かと同じ価値観」の中で過ごすことになります。
その価値観の中には常に他者が存在しているので、他者を意識して生きるしかありません。
そのレールを外れない限り、生涯を人と競争して過ごすことになります。
優越感に浸ることもあれば、劣等感に悩まされて生きることになるでしょう。
自由に生きたいなら何が良くて何が悪いかは、友達でも親でも社会でもなく「自分で」決めるべきだと考えています。
最後に
人を褒めたいときはどうすればいいのか
「ありがとう」とか「嬉しい」といった気持ちを素直に伝えたらいいんじゃないでしょうか。他者から言えるのは「自分の気持ちがどのようであるか」だけではないでしょうか?
他者の価値観に介入しようとする「褒める」行為は、僕はおススメしません。
以上です
さようなら