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文章の練習二日目
はじめに、ぼやき
自分の行動に対していちいちそれっぽい理由つけないと我慢できない自分がクソダサい。
そもそも行動を始めるときに大した理由なんてあるのだろうか。
なんとなく始めたくせにそれっぽい大義名分を後からつける人が多い。自分もその一人だ。
なんとなく海外に行ってみたくて留学したくせに、友人に「なぜ留学したの?」と聞かれたら、「語学を身に着けるため」とか「新しい環境で自分を見つめ直す時間を作りたかった」とか必死になって理由を後付けする。
僕はそれが気持ち悪い。そんなに理由は大切だろうか。何で留学したの?と聞かれて「留学したかったから」と答えるのはそんなに悪いことだろうか。 自分の選択に対して理由や意味ばっか求めていると、随分と味のない人生になってしまう気がする。
人生には意味のないことだらけだ。だから、意味のないものに自分でどう意味づけするかが肝心だ。
最初から意味なんて求めるな、意味のあることしかできない人生には何の感動もない。
遠回りでいいから、理由もない、意味のないことを沢山して味のある人生を送りたい。
これからは人の行動に対してすぐに「何で?」とか「どうして?」とか、聞くことをやめようと思う。
本題に入ります。
今回の即興お題は「お母さん、ありがとう」
今回のポイント:一つの文に一つの要素&繰り返しを避ける
メモ
- 母子家庭
- 祖母と祖父を介護している
- 自分を溺愛している
- お母さんの給料は自分のバイト代と対して変わらないことに衝撃を受けた
- すごく大変そう
- 自分の幸せはあるのだろうか
- 将来的に楽な暮らしをさせてあげたい
即興
自分は母子家庭の出身でお母さんは僕を溺愛している。お母さんは祖母の介護と僕の養育費を稼ぐためにいつも大変そうにしている。しかし、お母さんの給料は実は自分のバイト代と変わらないことを先日知ってしまったので衝撃を受けた。お母さんは自分の幸せが今の生活にあるのかわからないが、自分はお母さんに楽な生活をさせてあげたいと思っている。
訂正
私の家は母子家庭だ。お母さんは僕を溺愛している。家庭ではいつも、祖母の介護をしている。さらに私の養育費を稼ぐために、仕事をしてばかりだ。そのためいつも大変そうに見える。それにもかかわらず、母の給料は自分のバイト代とあまり変わらない。私は先日そのことを知った。どこか悲しい気持ちになってしまう。母の生活に幸せがあるのかが、分からない。将来は楽な生活をさせてあげたいと思う。
下の方がわかりやすい??もはやよく分からない。アドバイス求む。